ビターな週末

さて。

ケガの生徒たちも少しずつ復活して、それぞれの目標に照準を合わせて進んでいって欲しいです。
急ピッチでファイトしなければいけない子もいます。身体の声を聞きながら調整していきましょう。
故障というキッカケから自分で考え、工夫してトレーニングしていけますように。
(せっかく故障したんだから)

先月からのレパートリークラスも一回ずつ成果が出ている気がします。進む歩幅は違っても、それぞれに。
振付もだんだん身体に馴染んできたので、ここからはポジションや、音楽をクリアに★
宿題が出来るようになるまでは、回り道も近道もなく稽古あるのみですよ。
『みんな聞いてる〜_φ( ̄▽ ̄ )?』

先日のフィギュアGPファイナル優勝の紀平梨花選手もインタビューで言ってました。
ミスがあった後のジャンプコンピネーションの咄嗟の判断も「練習してきたものを出せた」と。
そして、ミスがあったジャンプも回避せずまた果敢に再挑戦し攻めたこと。練習の裏付けがあってこその自分への信頼からですね。
もう一度いうよ。
〈回り道も近道もなく稽古あるのみ〉
しかないのです。

さて。
週末は私にとって痛い週末でした。

プリエから教えていただき、初めて助教も経験した恩師を見送りました。
先生がお教室を開校した初期の生徒でしたから、まさに教室の歩みと共に私のバレエが始まりました。
先生の一直線な情熱を毎日全身で受け、あの当時のメンバーは皆がそうであったように固唾を呑む空気のなかで緊張の時刻(トキ)を過ごしました。
今でも先生の名前を聞くだけで心音が早くなるほどの存在です。

バレエにおける考え方のベースがここにあります。

理不尽さも、厳しさも教えていただきました。

愛情も、愛情のそそぎ方も教えていただきました。

訃報を聞いた瞬間は放心と熱い涙が交互にやってくる。
先生は最後までジャックナイフのように厳しかったです。
私にとっては、圧倒的な脅威です。

〜だんだん、そんな圧倒的な大人達が去っていきます〜

最後に喪主先生が「今日は愛弟子達が集まってくれました」と挨拶されたように恩師先生が育てた創成期OG達の顔がありました。
いちお稽古事でありながら最後の時を駆けつける元生徒がいるなんて やはり濃密な時代だったのだなぁと感じます。
そして、私の最期の時にはこうして集ってくれる生徒がいるのだろうか、とぼんやりした頭で考えました。

私は恩師先生の要求にスマートに応えらる生徒ではありませんでしたが、先生宛て最初で最後のお手紙を書きました。
先生に怒られないように様式に気をつけながら、何度も清書した便りをお棺に納めさせていただきました。
また「和実ちゃん!やり直し!」の声を遠くで思い出しながら。

ほろ苦い週末。
ビターなビターな。