酒井はなという人は*〜元祖オリーブ少女〜

このGWをみなさんどの様にお過ごしでしょう。

ここ関西では神戸コンクールで、熱い熱い接戦が繰り広げられています。もう30回?記念回です。
歴史あり。


今日はその様な熱いコンクールのお話ではなく。

先日『酒井はなさん紫綬褒章(受賞)だねぇ』という友人との会話から。わたしの酒井はなさんへの熱いオマージュがこみ上げてきたので、記すとします。


アメリカはシアトル生まれの帰国子女。橘バレエ学校時代から大注目の一人として牧阿佐美バレヱ団へ入団。
新国立劇場設立から活躍の場を同バレエ団にうつし、可憐な少女バレリーナから多様なジャンルでその表情は魅力的な舞台人として成熟の一途。受賞歴多数。

略歴を紐解くだけで眩いばかりなのに、いつも小さなレンゲ草の様なイメージで、イノセントな印象はちっとも色褪せない。


加齢をあらがう人達は自分磨きにお金と時間をかけ、メディアが名付けた”美魔女”という称号を手にする。
(私は絶対イヤですけどね。だってビ・魔女だよ?魔女)
その逆位置に、ふんわり存在する酒井はなさんという人。

バレエ界においても宝物のような人なんだけど、私とワタシの中・高校時代の友人にはもっと別な特別な存在であるんです。

いつかも触れた事がありますが、当時 私達のバイブルのような雑誌”Olive”なるものがありました。

カルチャーもお洒落もそこから学んだ。
エディターや、スタイリストという職業があるのを知った。フランスの蚤の市で仕入れる雑貨店のオーナーの記事を読んでは憧れて。
そうやって、生意気な”オリーブ少女”がたくさん育っていたのですよ。当時は。

はなさんは時折オリーブのページを飾るモデルとして、いい感じに登場していました。鎌倉の海岸で真っ直ぐな素足を投げ出して、アラベスクとかね。
だって、アメリカはシアトル生まれの帰国子女ですよ!帰国子女なんて言葉もその時、初めて聞いた(気がした)


そんな程、我々は何やらチャーミングなはなちゃんの虜になっていました。

のちの元若花田夫人となる栗尾美恵子だって、酒井順子だってアメリカンスクールのような制服のミニスカートにハイソックスがなんとも颯爽としていて。小学生の観月ありさのクールさ、市川実日子のぶっきらぼうさが悔しながらとってもTOKYO的だった。

いまや完全定着化した〈雑貨文化〉だって、ティーンにはオリーブが先生でした。デュラレックスのグラスが
F.O.B COOP店頭に行かなければ買えない時代。
いまほど、東京もパリも近くない時代。


そんなね、そんな私達の酒井はなちゃんですよ。
どんなに素晴らしい肩書きが増えたって、私達にはお上品なwild flowerはなちゃんですよ。

そうだわ。
発表会が終わったら、久しぶり大切にしまってあるOliveを読み返してみようっと。酒井はなちゃん回顧録からオリーブ少女の軌跡をたどる旅だ。

(投稿:kazumi)